
THE ART WORK

STATEMENT
作品について
私の残余
WHAT REMAINS OF ME
《WHAT REMAINS OF ME》は、2500年以上前の神代杉 (鳥海山から出土) を用いた、虚無に対峙するための自画像である。
長い歳月を地中で過ごした杉の全面に火を入れ、節や木目、亀裂を浮かび上がらせた。その上から、本物の銀を主成分とする特殊塗料を施している。木の目地を埋めることはせず、銀がどのように吸い込まれ、どのような色を発するかは、素材そのものに委ねた。
そのため、銀は木を均質に覆う皮膜にはならない。深く沈む場所、鈍く曇る場所、光を強く返す場所が、神代杉の内部に刻まれた時間に従って現れる。ここで銀は、過去を覆い隠すものではなく、むしろ見えなかった時間を光の中へ引き出すための媒体となっている。
かつて樹木であったものは、土中の暗闇を経て、火に焼かれ、銀をまとい、鉄の支柱と台座によって再び直立する。その姿は、肖像であると同時に、碑、依代、あるいは名もなき祭具のようでもある。正面に顔はない。そこにあるのは、消されずに残った木目と、見る者の位置によって絶えず変化する銀の光だけである。
UNDULATIONにおいて、作品の形象は作者の意志だけによって決定されるものではない。素材が内包する時間、火による変容、手の痕跡、偶然、そして光。それらの作用を受け入れることで、像は作者の統御を離れ、自らの表情を獲得していく。本作において発色の制御を手放す行為もまた、素材に対する委譲であり、自己を手放すための小さな儀式である。
2600年以上の時を経た杉が、やがて全身を銀に覆われることを知るはずもなかった。その予測不可能な遍歴は、人が自らの生を完全には所有できないこととも重なる。
これは救済を願うための供物ではない。自己という存在の輪郭を虚無の前に差し出し、その後に何が残るのかを問うための供物である。
銀に覆われながら、なお消えることのない木目。それは、虚無を前にして最後まで残る「私」の痕跡である。
鳥海山の神代杉(じんだいすぎ)とは、約2500年前 ( 紀元前466年 ) に発生した鳥海山の大規模な噴火によって地中に埋もれた、まさに杉の化石と呼ぶに相応しい特別な木材を示します。火山灰や土砂に覆われ、長い時間を経て掘り出されることで、独特の色合いと質感を持つようになります。
◯ 高さ : 1215mm
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