
旅館という「総合」に学んだこと
今から20年ほど前、一時期、高級温泉旅館にひどく惹かれていたことがある。身の程知らずと言えば、まあ、その通りだったのかもしれない。当時の僕の日常は、とにかく仕事に追われていた。忙しい、という言葉では足りないくらい、日常そのものが常軌を逸していたように思う。そんな中で、ほんの一泊だけ箱根の温泉旅館へ行く。旅館の玄関に立ち、暖簾をくぐった瞬間、それまで頭の中を占領していたものが、すっと切り替わる。
空気が違う。
匂いが違う。
光が違う。
流れている時間そのものが違う。
たったそれだけのことで、疲れ切っていた自分の中に、もう一度何かが戻ってくる。僕にとって温泉旅館とは、単に身体を休める場所ではなく、日常から一度切り離され、自分自身をリセットするための場所だった。
なぜ、ここまで質を保てるのか
しかし、僕が高級温泉旅館に通うようになった理由は、それだけではない。初めて訪れたとき、何より驚いたのは、その徹底したサービスの質だった。玄関、ロビー、フロント、廊下、エレベーター、客室、浴場。どこを見ても隙がない。清掃は行き届き、空間には余計なものがない。アメニティは不足なく整えられ、夕食も朝食も驚くほど完成度が高い。
そして何より、そこで働いている人たちの仕事だった。男性も女性も関係なく、どのスタッフの方も実にきめ細やかだった。朝早くから夜遅くまで、大勢の宿泊客を相手にしているはずなのに、そのサービスがほとんど途切れない。最初のうちは、ただただ感心していた。ところが二度、三度と同じ旅館を訪れるようになると、僕の中の経営者としての悪い癖が出てくる。
「今度こそ何か粗があるんじゃないか」
そんな目で見始めるのである。これほど大きな施設で、これほど多くのスタッフが働いている。人間がやっている以上、どこかに綻びがあって当然だろうと思う。
ところが、ない。。。。。。
それどころか、前回よりサービスの水準が上がっているように感じることさえある。「これは一体どういう仕組みなんだろう」零細企業とはいえ、僕自身も会社を経営していたから、そのことが不思議で仕方がなかった。
一人の優秀な人間が高い仕事をすることは理解できる。しかし、大勢の人間が関わりながら、建物の隅々まで一定以上の質を保ち、それを毎日継続するとなると、話はまったく別である。
空間全体が、ひとつの世界になっている
清掃。
接客。
料理。
風呂。
客室。
照明。
備品。
庭。
さらに言えば、その場所に漂う匂い、音、空気、光、そして時間。夜の静けさから、朝の始まりまで。そのすべてが、ひとつの世界として成立している。僕は、その「謎」を知りたかったのだと思う。だから旅館へ行っても、完全には休んでいなかった。むしろ、あちこちを見ていた。
これはどういう意図で置かれているのだろう。
なぜここは、この明るさなのだろう。
なぜこの場所には、この匂いがするのだろう。
なぜこの人は、このタイミングで声を掛けるのだろう。
そんなことばかり考えていた。
料理の「完成」は、どこにあるのか
料理を見ることも大好きだった。もともと僕は食べ物の写真を撮ることが好きで、旅館の料理が運ばれてくるたびに、その盛り付けを眺めていた。料理について専門的なことは何も分からない。それでも、一つの皿が目の前に置かれたとき、「どうして料理人は、この味加減を完成形だと判断したのだろう」と思う。
あと一枚、葉を添えることもできたはずだ。もう少し色を加えることもできたはずだ。けれど、そこで止めている。
その「止める場所」に興味があった。それは、今になって考えてみれば、造形や絵画にもまったく同じことが言える。
どこまで手を加えるのか。
そして、どこで手を止めるのか。
完成とは何なのか。
料理の味そのものはもちろんだが、器との関係、余白、色彩、素材、季節感まで含めて、一皿の中に構成された世界を見ることは、僕にとって非常に勉強になった。
僕に与えられていたのは、ほんの二時間半だった
もっとも、僕の温泉旅行は優雅なものではなかった。当時も、そして今も、仕事は忙しい。さらに家には猫がいた。だから、僕が行ける場所はほとんど箱根に限られていた。一泊二日。それ以上、家を空けることはできなかった。
翌朝、朝食を食べ終えると、もう猫のことが気になって気になって仕方がない。急いで会計を済ませ、10時にはチェックアウトして、横浜へ戻る。必ず午前中には家に戻り、何事もなく無事に待っていてくれた猫の顔を見て安堵する。それがいつものパターンだった。
だから実際のところ、僕が旅館で最も心から解放されていた時間は、とても短かった。午後3時にチェックインしてから、夕食が始まる5時半頃まで。ほんの二時間半ほどだったと思う。けれど、その二時間半は不思議なくらい濃密だった。仕事から切り離され、空間を見て、光を見て、庭を見て、風呂に入り、何も考えないようでいて、実はまた別のことを猛烈に考えている。
旅館で学んだことは、BAD LANDへとつながっていった
今振り返ると、あの頃、高級温泉旅館で経験したことは、その後のBAD LANDの仕事にかなり大きな影響を与えていると思う。ハーレーダビッドソンのカスタムという仕事とは、一見何の関係もないように見える。しかし、僕が旅館から学んだのは、個々の技術ではなかった。
人が触れるすべてのものを、ひとつの世界として整えること。
それだったのだと思う。一台のオートバイだけが完成していればいいわけではない。
店へ入った瞬間の印象。
スタッフの応対。
空間。
音。
匂い。
清潔さ。
説明の仕方。
そして完成した車両を目の前にしたときの感情。
その全部が、その店の仕事になる。高級温泉旅館では、それが恐ろしいほど高い水準で実践されていた。僕は温泉に入りに行きながら、結局ずっと彼等の仕事を見ていたのだと思う。
今度こそ、ただその時間に身を置いてみたい
本当なら、温泉旅館とはそんなふうに利用する場所ではないのだろう。仕事のことなど全部忘れて、ただ湯に浸かり、料理を食べ、庭を眺め、眠ればいい。けれど、僕にはまだ、それができていない。
だから近い将来、一度くらいは仕事のことを完全に忘れて、以前何度もお世話になった旅館の暖簾を、もう一度くぐってみたいと思っている。今度こそ何も調べず、何も分析せず、粗探しもせず。ただその場所に流れている時間の中に、自分を預けてみたい。
そんな日が来ればいいと思っている。
















