KUWAI HANA

Between Emotion and the Laws of Nature

2009年夏、スェーデン HOT ROD MEETING : A-BOMBERS を振り返って

126 views
約7分

これは RUN じゃない、アドベンチャーだ

2009年の夏、ドイツの W&W CYCLES AG 社長、ウルフガング・シュミット氏に招かれ、僕はスェーデンで開催される HOT ROD MEETING「A-BOMBERS」に参加した。あれから17年。当時ブログに書き残した文章を読み返しながら、あの旅をもう一度たどってみようと思う。

背中を押してくれたのは、BAD LAND の古くからのお客様である橋本氏と、妻だった。日本のハーレーショップの一社長が、A-BOMBERS に参加するためだけにわざわざスェーデンまでやって来る。それはきっと現地でも話題になり、ヨーロッパのハーレー関係者たちの間に僕の顔が知られることになる。その顔つなぎは、将来の BAD LAND にとって必ず大きな財産になるはずだ。「この旅は BAD LAND の将来にとって絶対に良いチャンスになる」。二人にそう力説され、半ば説き伏せられるようにして、僕は日本を発った。愛用のオンボロのヘルメットが初めてヨーロッパの地を踏んだのも、この旅だった。

キールからヨーテボリへ、13時間半の船旅

旅は、ドイツの港町キールから大型フェリーに乗り、スェーデン第2の都市ヨーテボリを目指すところから始まった。W&W のあるドイツ南部の街ヴェルツブルグからキールまでは約600km。バイクを積んだトラックで、早朝から7時間ほどかけての移動だった。

地図で見ればたいした距離には見えない航路だが、実際は約1300km。夕方17時に出航し、翌朝7時に着く13時間半の長旅だ。客室は全室個室で快適ではあったものの、前日に成田から12時間のフライトを終えたばかりの身には、さらに半日以上を海の上で過ごすことがさすがに堪えた。

乗船してバイクを所定の場所に固定し終えると、W&W のスタッフは全員、目の色を変えて船内のレストランへと向かっていく。7時間のトラック移動の後だ。誰もが一刻も早く、ビールで喉を潤したかったのだろう。その光景は、今でもはっきりと覚えている。

ヨーテボリからウデバラへ、嵐の300km

ヨーテボリから会場のウデバラまでは、海岸線のアウトバーンをノルウェー方面へ北上すること約300km。せいぜい4時間ほどの道のりと聞いていた僕は、このツーリングを完全にナメきっていた。出発前に現地の地理を調べることもなく、楽勝ムードのまま日本を出てしまったのだ。

それが、実に甘かった。

ドイツにいる MINAKO から気候についてのアドバイスだけはもらっていたので、寒さに震えることはなかった。真夏とはいえ、さすがは北欧。走るときには初冬の装備が必要で、夜は10度前後まで冷え込んでいたと記憶している。

ただ、海岸線を走ることになるとは夢にも思っていなかった。初日の豪雨はやがて強風を伴い、ついにはハリケーンのような様相を呈していく。その理由を知ったのは、帰りの船内に貼られていた現地の地図を目にしたときだった。

少しでも気を抜けば、反対車線まで持っていかれそうな海からの横風。その中を、海峡に架かる高く長い橋をいくつも渡っていく。片側には後方から迫り来る車、もう片側は高所からそのまま海へ。ツーリングは一転して、本物の冒険と化した。

前も見えないほどの横殴りの雨と、息もできないほどの風。52年式の、まさに化石のような PANHEAD にしがみつきながら、僕はこの旅をけしかけた妻と橋本氏を、心の底から恨んでいた。
「2度とこんな所へ来てやるもんか!!」
そう毒づきながらも、W&W のクルーの背中を追って、僕はスロットルを開け続けた。

なんとか無事に乗り切ったものの、皆が口を揃えて「死ぬかと思った」と言っていた。クルーからは「これは RUN じゃない、アドベンチャーだ」と告げられる始末だ。

あのとき得た教訓は、今も変わらない。外国の気候風土をナメてはいけない。季節が同じであろうと、そこは決して日本と同じではないのだ。

ヨーロッパ中から集まった HOT RODDER たち

ようやく辿り着いた会場には、スェーデンはもちろん、ヨーロッパ中から HOT RODDER たちが集まっていた。その数は、500や600台などというケチなものではない。エルビスや J・ディーン、ブライアン・セッツァーのような出で立ちの男たちがそこら中にいて、皆ビールを片手に大いに盛り上がっていた。

聞けばスェーデンは、世界有数の、欧州では間違いなく一番の HOT ROD 大国なのだという。MINAKO によれば、ドイツでも同様のミーティングは開かれるものの、ここまでの数は集まらないらしい。カリカリにチューニングされたエンジン、直管マフラー、ベタベタの車高。思い思いにカスタムされた古き良きアメ車が、会場にもハイウェイにも溢れていた。

広い会場で、アジア人の顔をしていたのは僕と MINAKO だけだった。物珍しそうな視線を向けられることも多かったが、「君のこと知ってるよ。W&W のカタログに出てる人だろ。日本から来たのか!!」と声をかけてくれる人もいて、それが素直に嬉しかった。二人の言っていたことは、間違いなかったのかもしれない。

相棒の52年式 PANHEAD

この旅で借りたのは、W&W CYCLES 所有の52年式 PANHEAD だった。エンジンはノーマル仕様らしいのだが、驚くほどバランスが良く、実にトルクフル。アクセルを開ければ、何のストレスもなく一気に吹け上がる。道中一度たりともトラブルはなく、本当に頼もしい相棒だった。正直に言えば、心の底から欲しいと思ったバイクだ。

オールドのハーレーでロングを走るのは、このときが10年ぶりくらいだった。それまでどこか封印気味にしていたオールド・ハーレーへの個人的な想いが、この旅で静かに頭をもたげてきた。

3日間、約1200km を走り終えて

W&W の社長ウルフガング氏をはじめ、クルー6名と共にスェーデンを駆け抜けた4日間、約1200km。成田に戻ったその日の夜、荷物を片付けるとすぐに PC に向かい、僕はブログを書いた。

あれほど恨んだ初日の豪雨と強風も、帰る頃には最高の想い出に変わっていた。滅多にできない体験だったからこそ、初めてのスェーデン RUN に花を添えてくれたのだと思う。

旅の最後には、招いてくださったウルフガング・シュミット氏と記念の一枚を撮った。Vielen Dank !!

あの旅が教えてくれたこと

この旅で、痛感したことがある。当たり前のことだが、ハーレーのカスタムに携わる人間は、やはり自分で走らなければ話にならない、ということだ。仕事に追われていると、バイクに乗る時間さえ持てなくなりがちだ。けれど、ハーレーで走ることは実に楽しい。答えは、それだけだった。

お客様と共に、ハーレーを通じて走ることの楽しさを、BAD LAND の流儀で提案し、分かち合っていく。それこそが自分の仕事なのだと、原点に立ち返って再認識した。

W&W のボスとクルーたちは、このツーリングを通じて、走ることを誰よりも楽しみ、その楽しさを知っているからこそ良いものを届けられるのだということを、身をもって僕に示してくれた。自分自身が走り続け、その経験をお客様と分かち合えるショップであり続けたい。そう強く思わせてくれた旅だった。

ノーマルでもワイドタイヤでも、TWIN CAM でも KNUCKLE でも、すべては走ることにこそ意味がある。だからこそ、あのとき僕は「STAY FOOLISH」、死ぬまでずっと馬鹿でいようと心に決めたのだ。

17年が経った今、改めてあの旅に関わってくれた人たちに感謝を伝えたい。素晴らしい機会を与えてくださったウルフガング・シュミット氏、旅の間ずっと気を配ってくれた MINAKO、そして W&W のスタッフの皆さん。本当に、ありがとう。

そして、あの旅の相棒だった52年式 PANHEAD は、今もドイツ W&W のガレージで大切に保管されている。エンジンの調子もあの時のまま、絶好調をキープしているそうだ。

Share / Subscribe
Facebook Likes
Posts
Hatena Bookmarks
Pinterest
Pocket
Evernote
Feedly
Send to LINE
03-6630-6312