
Layla and Majnun, Yokohama
横浜公園のすぐそば、横浜スタジアムの真正面に、FLASHBACK CAFEという店がある。横浜の街を歩いていると、ときどき、街の中に時間の流れから少しだけ取り残されたような場所に出会うことがある。そこだけ別の時代の音楽が流れ、別の時間が堆積しているような場所。
僕にとって、FLASHBACK CAFEはそんな店だった。店内は決して明るくない。むしろ暗い。
外から差し込む光や、小さな照明、看板のネオン、磨かれたテーブルに反射する光。その僅かな明かりによって、店の中に置かれた椅子やレコード、看板、古いアメリカの記号のようなものが、暗闇の中から少しずつ姿を現す。
その店内に、僕がどうしても目を奪われてしまう照明があった。エリック・クラプトンが在籍したデレク・アンド・ザ・ドミノスの『LAYLA』。あのアルバムジャケットを思わせる女性の顔を、ステンドグラスのように仕立てた照明である。僕は昔から、あのジャケットが大好きだった。
『LAYLA』という音楽そのものについて語ろうとすれば、もちろんいくらでも言葉は出てくる。けれど僕がここで惹かれているのは、音楽とは少し違うところにある。
あの「顔」なのである。
輪郭を黒い線で切り取られた白い顔。閉じたようにも、遠くを見ているようにも見える眼差し。そして赤い唇。
FLASHBACK CAFEの暗い店内でその照明を見ると、周囲のほとんどすべてが闇の中へ消えてしまい、その顔だけが静かに浮かび上がっていた。

それが、たまらなくロマンティックだった。
美しいという言葉だけでは、少し違う。
どこか寂しく、どこか妖しく、誰かを待ち続けているようでもあり、
すでにすべてを諦めているようでもある。
暗闇の中にあるからこそ、その白い顔と赤い唇が強烈な存在感を持っていた。
写真を撮ろうと思った。
きれいに撮ろうというより、この暗さの中に浮かんでいるLAYLAを、そのまま残しておきたかったのだと思う。

店の窓の外には横浜の街がある。
ほんの少し歩けば横浜公園があり、その向こうには巨大な横浜スタジアムがある。
ナイターの日には照明塔が夜空を白く染め、車が行き交い、信号が変わり、人が行き過ぎる。
試合のある夜には何万人という人間が集まり、試合が終われば、その人々はまた街の中へと消えていく。
横浜スタジアムという巨大な構造物と、その周囲を流れる人間や車。
店の外では時間が猛烈な速度で動いている。
けれどFLASHBACK CAFEの中へ入ると、その速度が少しだけ変わる。
古いレコードやアメリカの看板、暗いカウンター、椅子、窓から入ってくる外光。
そして暗闇の中に浮かぶLAYLA。
店の中と外とでは、同じ横浜でありながら、流れている時間が違うように感じた。
僕が撮ったこれらの写真には、その二つの時間が混在している。
横浜スタジアムの強烈な照明。
夜の道路を走り抜ける車のテールランプ。
赤く照らされた街路。
店の窓越しに見える人の姿。
静まり返った店内。
そしてLAYLA。
考えてみれば、街の写真というものは、建物を撮っているようでいて、本当は時間を撮っているのかもしれない。
そのときそこにあった店。
そのときそこを歩いていた人。
そのとき点いていた灯り。
そのとき流れていた音楽。
そのほとんどは、いつか姿を変えてしまう。
僕自身も変わる。
だから何年も経って写真を見返したとき、写っているもの以上に、写っていないものの方が強く感じられることがある。
その夜の空気。
街の匂い。
店の暗さ。
窓の向こうの光。
そして、その場所にいた自分自身。
写真とは不思議なものである。シャッターを切った瞬間には何でもなかった一枚が、時間を経ることで、突然、自分にとって大切なものへと変わる。
FLASHBACK CAFEで撮ったLAYLAも、僕にとってはそんな一枚なのだと思う。
横浜の夜の片隅。
巨大なスタジアムの明かりからほんの少し離れた暗い店内で、一人の女性の顔が静かに光っている。何年経っても、僕はきっとこの写真を見るたびに思い出す。音楽ではなく。店でもなく。
あの夜、暗闇の中に浮かんでいた、
LAYLAの顔を。














